「英語で広告って何というんですか?」
仕事で訪れた中国で、現地スタッフに聞かれた言葉だ。なぜか強烈に覚えている。私は答えることが出来なかった。
結局彼女は別のスタッフに聞いて、「Ad」という答えを得た。
中国との邂逅
会社で中国工場新設プロジェクトがあり、私が若手担当者として起用されたのだ。
初めての海外出張、それも中国ということで、周囲の心配に同調するように私も不安を吐露していたが、実は不思議と海外で仕事が出来ることにワクワクしていた。
ワクワクドキドキで初めて中国へ行き、現地スタッフとあった。そこには人件費抑制のためほとんどが大学卒業予定の学生であった。
「ニーハオ、ウォーシーXXX」と変な中国語で挨拶する私を「先生」と慕ってくれた。日系企業なので、日本語を学んでいるスタッフがいて、日本語が出来なくても大抵のスタッフは英語と中国語を話すことが出来た。
街の道路はデコボコで、車のクラクションは騒がしく、夜は怪しい露点が偽ブランド品を販売している一方、あちこちで建設中の高層ビル、マンションがあり、中国という国の勢いを肌で感じた。
中国スタイル
スタッフもイメージとは裏腹に残業を厭わず、自分のやるべきことは懸命にやっていた。ただ少し違うのは、範囲の限定の仕方だ。私の職場は、かなり他人の範囲まで仕事をするのが当たり前だった。システム屋の私だが、生産計画を一緒に作ったり、月次決算が締まらなければ、夜を徹して数字を追いかけた。
でも彼らは違う。「ここからここは私」「ここからはあなた」はっきり線引きしている。わかりやすいエピソードがある。ある日食堂の残飯バケツが倒れており、ヒドい状況だった。倒れたところにどんどん残飯を捨てていくので、状況は悪化するばかりだ。私は気になったので、倒れたバケツをもどそうとした。。
そんな私をスタッフは「不要!」ととめた。曰く片付けは掃除のスタッフの仕事であり、私達がやる必要はない、とのこと。
自分は自分、他人は他人、まったく気にしない、それが彼らのスタイルだ。
先生
はじめこそ、「先生」と呼ばれ、仕事も順調に進んだが、途中で気づいた。順調なのは自分の能力ではない、大学を卒業したばかりの彼らの能力が高いからだ。
「こんなに優秀な3カ国語を操る人材が、日本の数分の一の単価で働いている、それに比べて英語もおぼつかない自分は一体なんなのだ。
「もはや自分のアドバンテージは日本人というだけではないか?」という考えに捕われた。そしてその「日本」という国も世界から見れば圧倒的に遅れ始めているのではないか?と。
自分の価値
そこで私はMBAの体験版を受講したり、英語の勉強をしたりして、その焦りを解消しようとした。自分の価値を高めたかった。同時にその会社で海外プロジェクトがしばらくないことに焦り始めた。海外で仕事ができないと、将来立ち居かなくなる、と考えたのだ。ついには転職活動まで始めた。
色々な人がいた。ご自身でビジネスをしている人、投資家、女性の権利を守るために働いている人、そんな人達の中で自分の存在がますます小さく感じた。いったい自分のやりたいことってなんだ?
価値を上げようとすればするほど、自分の価値ってなんて小さいんだ、自分の価値をいかにあげれば良いのかますますわからなくなってしまった。
職場を変えた
結局私は、職場を変えた。海外で仕事がしたい、いやしなければならないという思いにとらわれたのがその時の理由だ。だからそんなチャンスがある職場へ移ることにした。
新しい職場は文化も違う、同じと思った仕事内容も現場よりの仕事ではなく、企画、要は人と金の手配が中心の仕事になった。慣れない仕事ばかりでうまく行かない。
このままじゃダメだ!そんな一心で仕事に取り組んだ。その結果たしかに海外の仕事は増えた。一気に海外出張が増えて、忙しく、それなりに充実した思いはあった。でもどこかで何かが足りない、そんな思いは変わることはなかった。
とらわれていない人
足りないものはなんだ。そんな思いを小脇に抱えて、慣れない環境で懸命に仕事に取り組んだ。そんな時仕事で訪れたアメリカで中華料理店に入った。中は中国系のお客さんでにぎわっている。一緒に入った人が「僕は結構中国人の人嫌いじゃないですよ。日本だとあまり評判よくないですけど、嫌いになれないな。」と行った。私の口から自然と「そうですね。彼らは「とらわれていない」気がします」という言葉がでた。そうだ、とらわれていないんだ。
自分基準へ
私はあまりにもとらわれていた。
私はあまりにも周囲の評価を基準にしていた。周囲の評価を基準にしていては、永久に100点を得ることは出来ない。
それを認めたとき、何かが変わった。
自分がいかに今の仕事に満足しているか、仕事に対して英語力が適当か、自分の価値を自分が認めているか、にフォーカスした方が良い。
自分を基準に考えると不思議と今まで感じていた「何かが足りない」という思いや、「自分の価値の小ささ」みたいなものにとらわれなくなった。
いまでも中国で「英語で広告はなんと言いますか?」と聞かれたシーンを思い出す。でもそれはもう答えられなかった苦い思い出じゃない。中国で楽しく過ごした思い出だ。
自分が納得すること、自分基準でいれば、どんな今もOKだ。もしOKをだせないなら、「何をすればOKか?」を考えよう。倒れた残飯バケツは元に戻すまではやろう、ゴミの片付けは、プロに任せよう。日本の危機を感じたら、最低限選挙へいこう、自分の価値が小さく感じたら、自分が納得することを積み重ねていこう。